三年前のクリスマス、私は初めて怪談会なるものに参加した。
群馬県高崎市出身の実話怪談作家である戸神重明先生が主催するイベントだった。
私はプロの作家に会うのも、人前で怪談語りをするのも初めてだったので、ひどく緊張したのを覚えている。
私の話した怪談は
「占い師に心を読まれた不思議な話」
と、あんまり怖くなかった。
本当は自分でも一番怖いと思うイチオシの怪談を語ってみたかったが、群馬に関係ないので断念した。
いや、嘘だ
ヒヨって無難な話を選んだだけだ。
それにしてもギャラリーの前で、ましてや大勢の他人の前で怪談を話すとは難しいものであった。
「さぞかし怖いんでしょうね?」
マイクを受け取ったときは(もしかして、皆そう思っているんじゃあないか?)と思って胃が痛くなった。
気軽に参加したのだが、うまく話せなかった自分が許せず、終わってからふつふつと悔しさが込み上げてきた。
とにかく、なんとかしてもう一度チャンスが欲しいと思い、急遽打ち上げに参加することにして、先生や怪談師の方々にたくさん話しかけた。
元々コミュ障なくせによくやれたもんだと思う。
それからというもの、自分なりに怪談収集に勤しむようになった。
毎週末にチャットアプリを使ったり、たまーに他人に話しかけたりしながら、片っ端から不思議な体験談を聞いて話して
それが結果的に怪談語りの練習にもなった。
それに加えて毎回欠かさず戸神先生の怪談会に参加して、打ち上げの場で集めた話を披露していると、ある日先生から「怪談を語ってみませんか」と、怪談師としてのオファーをいただいた。
それが怪談を千話集める人のデビューであった。
初怪談師の舞台は上出来だった。
怪談集めのついでに話の練習を何度もしていたので、人前でもあまり緊張せずにスラスラと言葉が出てきて驚いた。
初対面の人から「怖かったよ〜」と褒められた。
こんな気持ち何年ぶりだったろうか、新しい自分に生まれ変わったような気分だった。
それから何度も怪談語りをさせてもらった。一年間ほどイベントに出させていただき、最後はギャラもいただいた。
戸神先生には感謝してもしきれない。
その年の五月、自分でも怪談会を開催したいと先生に相談すると
「何かわからないことがあったらいつでも訊いてください。一緒に群馬怪談を盛り上げましょう」と応援してくださった。
それから、その夏は自身でイベントを企画して精力的に活動した。
しかし、なかなか人が集まらずイベントが中止になるばかり、個人の怪談会開催は難しいものだった。
並行して高崎怪談会にも時々お邪魔して怪談語りをさせてもらいながら、諦めずにこれからもっと大きなことをやれたらいいなと、そう思っていたのだが
数日後、戸神先生は急逝してしまった。
あまりに突然のことだった。
悲しかったし、たくさん報告することや聞きたいことも残っていた。私はしばらくの間、すっかり意気消沈していた。
お客さんの前で怪談語りをする場所もなくなり、今後はもう人前で話す機会も無いのだろうと諦めていたのだが
それから一月程経った頃、私は勝手に先生の意志を継いだ気になって、また群馬で怪談会を開くようになった。
高崎怪談会もなくなってしまったし、自分でやるしかないと思って
しかし、有志の方々によって高崎怪談会が存続されているということをXを見て知った。
ただ、先生が亡くなってから、私がこれ見よがしに群馬で怪談会を開き始めたのだと、他の方々から思われているのでは……
なんて勝手に思っていたものだから、自分から足を運ぶことはできなかった。
皆さん心優しい方ばかりだったので、そんなことを思う人などいるはずもないのだが
まあ良いか
私は私のやれることやりたいことをやろう
恩返しのつもりで
ギャラを払って演者を呼ぶほど大きくないし、コツコツと実績を積んで名を挙げるしかない。
地道に頑張っていこう。
数をこなせばいつかとんでもない霊障も起こるかもしれない
怪談会は良い。
いろんな人と出会えるし、何より楽しい。
今後も頑張って(勝手に意志を継いで)色んなイベントをやっていこう。
ありがとうございました。
ちなみに私の団体は「北関東怪談を語る会」であるが、これは高崎怪談会を差し置いて「関東怪談会」なんて名乗るわけにいかないと思い、ちょっとダサい「北関東」とつけることにしたのである。
「北関東怪談を語る会」
ダサいね笑